2009年12月10日
鵜飼いのかつておこなわれた漁法
鵜は冬、南方に渡りする途中を尾張国知多半島篠島海岸で捕獲した。 捕獲法は、最初おとりとなる1羽の鵜の両眼の瞼を縫って仮に盲目とする。 これを海上に露出する巌頭に置き、付近に黐ハゴを装置し、これに近づく渡りの鵜を捕まえるのである。 これは島鵜とよんで、普通の鵜よりもやや大きく、身長約2尺、頸長8寸~9寸、体重650匁~860匁になる。 捕まえた鵜も瞼を仮縫いして使用地まではこび、風切羽5,6枚を半ばから切り取り、縄付きで泳がせ、だんだん訓練する。 使用年限はたいてい12~13年間である。
鵜飼舟は長さ7間8寸、敷6間、幅中央3尺4寸、深さ1尺6寸5分。 棹は艫乗りの使うものは長さ1丈5尺(艫棹)、中乗の使うものは長さ8尺5寸(中棹)。 楫は艫楫の長さ7尺5寸、中楫の長さ6尺2寸。 帆は長さ1丈2尺5寸、幅9尺5寸。 檣は長さ1丈6尺5寸。 ただし帆と檣は上流へさかのぼるときに用いるだけで、鵜飼と直接の関係はない。
松敷は篝用の薪を置く台であり、大小2個ある。 手縄は鵜をむすぶ縄で、檜の繊維を撚りあわせたもので、長さ1丈。 縄の端に鯨でつくった「ツモソ」という長さ1尺2寸の紐を付け、その末を島田にまげて鵜をつなぐ。 吐籠は鵜の呑んだ鮎を吐出させる竹籠で、口径1尺3寸、深さ1尺2寸5分、。 諸蓋は鮎を盛る器で、横7寸2分、縦1尺2寸、深さ1寸5分の檜製の盆。 篝は鉄製で、火籠の深さ1尺、底径6寸、口径1尺4寸、これに長さ7尺5寸の柄をそえて、舟の舳に差し出す。 松割り木は篝火用で、長さ1尺2寸ほどの松薪6貫匁を1束として、1艘に5束ずつそなえる。 松明は脂松を適宜たばねて、随時使用する。 鵜籠は鵜の運搬具で、幅3分の割竹で、縦1筋、横2筋、方1寸くらいの籠目に編みつくり、檜の4分板で蓋とする。 籠中央に縦に仕切りをもうけ、一方に2羽ずつ4羽の鵜をいれる。 留籠は使用後の鵜を1籠に2羽ずついれて鳥部屋に置くもので、製法は、鵜籠と同様である。
鮎は立春後およそ50日を経れば、やや成長し海口から河川の淡水にのぼりはじめ、5月になれば3寸くらいに成長する。鵜飼各戸はこれより前に準備するが、鵜飼は暗夜にかぎる漁法であるから、月夜を嫌い、上弦の夜は月入後、下弦の夜は月出前、上流から下流へ漁して下る。鵜飼舟は毎夜12艘が二手に分かれて漁するが、ときに連合し漁陣を張り、一斉漁業することもある(搦み)。 鵜飼舟1隻には鵜匠1人、中乗1人、艫乗2人、計4人が乗り組み、鵜匠は舳で12羽の鵜をつかい、中乗は中央で4羽の鵜をつかい、艫乗は艫で舟の進退旋回の任にあたる。 鵜匠は鵜の鮎を呑んだ瞬間手応えでそれとさとり、ただちに引き上げ、吐籠に吐かす。豊漁の際には全部の鵜が一時に鮎を呑むこともあるが、鵜匠はいささかの遅滞もなく、それを取りさばく。鵜匠はその多忙のうちにあってなおあるいは篝の薪を添え、あるいは舟の進退に注意し、ひと呼吸の油断もない。
御料鵜飼
岐阜県岐阜市ならびに関市の長良川河畔における鵜飼は、宮内庁式部職である鵜匠によって行われている。鵜匠は岐阜市長良に6人、関市小瀬に3人おり、これらは全て世襲制である。長良川の鵜飼では、1人の鵜匠が一度に12羽もの鵜を操りながら漁を行う。
もともと長良川の鵜飼はその起源を1300年ほど前までさかのぼることができ、江戸時代においては徳川幕府および尾張家の庇護のもとに行われていた。明治維新後は一時有栖川宮家御用となるも、1890年に宮内省主猟寮属となり、長良川鵜飼は宮内省(現宮内庁)の直轄となった。すなわち、御料鵜飼とは皇室御用の鵜飼であり、狭義には毎年5月11日から10月15日まで行われる漁のうち特に宮内庁の御料場で行われる8回の漁を指す。御料鵜飼で獲れた鮎は皇居へ献上されるのみならず、明治神宮や伊勢神宮へも奉納される。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
などで特に鵜飼いは伝統的な漁法で岐阜県、愛知県、京都府、愛媛県で主に行われています。
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